※レースの歴史についてはさまざまな学説があり、こちらに紹介しております内容は
そのうちの一説であることをあらかじめご了承下さい。
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レースの起源は紀元前の狩猟時代にまでさかのぼりますが、14世紀末から16世紀初めにかけて白地白糸刺繍がさまざまに発展し、16世紀初頭には麻生地に刺繍されたレースに、より透けたものが求められるようになります。
今日我々が見るような装飾を目的とする独立した形のレースが生まれたのは1540年頃といわれています。
それ以降、これらのレースはベルギーのフランドル、イタリアのヴェネツィア、フランスのアランソン、シャンティ等で発展していきました。
中世の手工業時代、レースの生産には多くの時間と人、そして熟練した技術を要したため、レースは王侯貴族の贅沢の象徴であり、庶民のレース使用を禁じた時代もあるほどでした。
レースはまさに『織物の王様』というのにふさわしいといえるでしょう。
15世紀末から16世紀初めにかけて当時のベネチアのレースは、動物模様や幾何学模様のニードルポイントレースが多かったようです。
手法は主に、ドロン・ワーク(Drawn work:英)、カットワーク(Cutwork:英)、レティチェラ(Reiticella:伊)だったようです。
その後、地布部分より透かし孔が多いプント・イン・アリア(Punto in aria:伊)、繊細で軽妙なモチーフのローズ・ポアン・ド・ヴニーズ(Rose Point de venise:仏)、大柄な花模様を枝(ブライド)でつないだ重厚な感じのグロ・ポアン・ド・ヴニーズ(Gros Point de venise:仏)が、次々に作られたとされています。
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フランスでは16世紀初めフィレンツェ(イタリア)よりカトリーヌ・ド・メディチがアンリ二世に嫁いできたことでレース愛好家の気風が増し、17世紀中期にはルイ14世の宰相ジャン・パティスト・コルベールの重商主義の一環として国営の製造所において『フランスのレース』という意のポアン・ド・フランス(Point de France:仏)が作られます。
しかし、18世紀末(1789年)のフランス革命によって豪華で精巧を極めたこの国のニードルポイントレースはほとんど生産されなくなってしまいました。
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16世紀初めベネチア、ベルギーに登場したボビンレースは、16世紀中期以降はジェノバ、ミラノ(イタリア)で主に幾何学模様のニードルポイントレースを真似て作られていたようです。
その後ベルギーへ広がり著しく発達し、17世紀には独自のスタイルを生み出しました。
18世紀には花、つぼみ、水玉などのモチーフを網地一面にまき散らしたような複雑で精巧な模様へと発展、この形のレースはブリュッセル(ベルギー)で盛んに作られたため、ブリュッセルレース(Brussels Lace)といわれるようになりました。
![]() 1830年頃のレース機
![]() 現在のレース機 |
18世紀末のフランス革命以降、イギリス宮廷では
レースの輸入が困難になり大きな痛手を受けますが、
結果としてこれが機械レースの発明を促すことになります。
1808年にヒースコートがボビンネットを作る機械を発明し、1813年にはジョン・リバーが今日のリバーレース機の
原型を作りました。
日本でも1920年代にレース機が輸入されるようになり、
第二次世界大戦前までは浜松・越後・横浜などで
作られていましたが、大戦後は各地で作られるように
なりました。
現在のレース機はさまざまな改良が重ねられ、
短時間に大量のレースを低価格で作ることが
できるようになっています。
